今までこのブログに書いてきたようなことを考えるのは、私にとっては娯楽、慰みのようなものです。頭に浮かんだ面白いアイデアを的確な言葉で表現できた瞬間、今まで考えなしに空費してきた寿命にも価値があったのだと、生きている意味をかろうじて燃料切れ寸前で回復できます。そんな自転車操業でこのセロトニンゲームを回しています。
天然の思索場
先日スマホのアルバムを眺めていたところ、高校同期(Dとします。)のツイートから保存した画像に目をとめ、私が求めているのはDのような人なのだと再認識させられました。
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